小さな集落ごとの祭りの豊かさに日本の原風景を見る。
郷土の誇りと文化が継承されてー
滝の宮神社祭り ※(神輿が穴吹川での禊のあと、神社の急な階段を駆け上がる若衆の迫力が見所)
木屋平には、新八幡神社(八幡)の「ごくたき」,八幡神社(樫原)の「当 とう 屋 や の受け取り渡し」の儀式のような古風を伝える神事や、弓矢を使った「お的まと 」神事、森遠神社の「輪抜け」、南張の獅子舞・傘踊りなど、多くの神社では、新春・夏・秋の年3回の祭りが行 われていました。
しかし、過疎高齢化に伴い、例祭に山車 が出せないなど、行事の簡略化や、伝承が難しくなっていますが、祭事は地域の幸せを願い、感謝する郷土愛の拠り所であり、地域の交流や家族や親せきが寄る機会になっています。
地域の神社・仏閣、お堂などは、どこも美しく手入れされており、大切に祀られています。
1日1日 川上神社 小祭 (ほか春秋社日)
1日1日 谷口神社 小祭
1月5日 新八幡神社 小祭
1月7日 森遠神社 小祭 ※輪抜け
1月9日 新川井日吉神社 小祭
1日10日 麻衣神社(須佐神社) 小祭
1日11日 樫原八幡神社(応神神社)小祭
※お的
1日12日 二戸八幡神社 小祭
大北八幡神社 小祭
1月13日 南張神社 小祭 ※お的
1日15日 三ツ木八幡神社 小祭 ※お的
旧正月 剣山藤之池本坊 ※星まつり
4月
川井峠・貢公園など桜が見頃
3月21日 (旧暦) 大北・天行院大師庵 祭礼
4月27日 山開き(中尾山高原グラススキー場・平成荘)
4月29日 剣山お山開き みこし渡御 餅投げ
5月5日 春宮神社 (東宮山)
※東宮山頂には春宮神社(木屋平側)と東宮神社(神山側) の2社があり,氏子は異なるが同じ日に祭りを行い,神山側には神輿 に加え5人乗りの屋台がある。馬場もあり、 かつては露店なども出て賑わった。
現在は、どちらともの当屋が限界集落で、静かに執り行われています。
5月中旬 剣山藤之池本坊 ※お山開き
6日7日 麻衣神社(須佐神社)祇園祭(東ノ宮)※かつては牛の健康祈願と品評会
6日11日 樫原八幡神社 小祭 (お的)
6日12日 二戸八幡神社 小祭
6日16日・17日 剣山藤之池本坊 ※先月祭
6月19日(旧暦) 明神社(樫原)※お的 (女人禁制・魚は供えない)
7月9日 滝の宮神社 大祭 ※神輿渡御・あばれ(3人打)/新川井日吉神社 小祭
7日12日 谷口神社 小祭
7月13日 南張神社 小祭 お的
7日14日~17日 剣山藤之池本坊 ※夏季大会
7月15日 三ツ木八幡神社(忌部神社)※お的
大北八幡神社 小祭 ※お的
7月16日 新八幡神社 小祭
7月16日・17日 劔神社(劔山本宮)・宝蔵石神社
(旧郷社)※神事
7月17日 劔神社(劔山本宮)(旧郷社)※神輿渡御
(平日の場合は17日以降の最初の日曜日)宵宮あり
7月20日 三宝荒神虫送り・太子堂(弓道)
7月20日 新川井日吉神社 小祭
7月20日(旧暦) 大北・天行院大師庵 祭礼
7月22日 所主神社 祭礼(弓道)
8日1日 剣山藤之池本坊 ※八朔祭
8日2日 劔山本宮宝蔵石神社 ※八朔祭(茅の輪くぐり)
8月15日 木屋平地区 夏祭り
宝探し(小・中人)・アメゴつかみ捕り(小人)
(中尾山高原)/芸能大会(川井体育館)/
阿波踊り・花火(川井グラウンド)
8月24日 白龍神社 まつり
9月最終日曜 木屋平幼稚園・小・中学校共催
木屋平地域市民運動会
9日下旬 剣山藤之池本坊 ※御山閉
10月1日~31日:剣山もみじ祭り
10月 第一日曜 木屋平地区 市民運動会(予定)
10月13日 南張八幡神社 大祭 (神輿・だんじり)
※獅子舞・笠踊り
10月14日 新八幡神社 大祭(菅原道真公の祭典)
10月15日 新八幡神社 大祭(仁徳天皇の祭典)
※神輿渡御・だんじり・相撲
10月19日 麻衣神社(西ノ宮) 大祭 ※神饌のみ
麻衣神社(須佐神社)大祭 (東ノ宮)
樫原八幡神社(応神神社) 大祭
10月20日 新川井日吉神社 ※神輿
10日21日 大北八幡神社 大祭
※あばれ(3人打ち)※神輿渡御
10日22日 森遠神社 大祭 ※神輿渡御・だんじり
10日25日 三ツ木八幡神社(忌部神社)大祭※神輿
二戸八幡神社 大祭 ※神輿
10日27日 谷口神社 大祭 ※神輿渡御・だんじり
10日28日 川上神社 大祭 ※神輿渡御・だんじり
11月 第一日曜 木屋平地区 産業文化祭
11月 第3日曜 山終い(予定)
11日23日 森遠神社 小祭
11月7日(旧暦) 滝の宮神社 小祭
12月第一日曜 木屋平地域駅伝大会
※各、行事とも開催の有無、日時や内容等は変更の可能性がありますのでお気をつけ下さい。
外部リンク・ダイドー祭りドットコムHP
2012年 劔山本宮劔神社例大祭・TV放映されています。
徳島の剣山北麓にある旧木屋平村は,平安初期に 阿波忌部氏の一族の三木氏が開いたといわれ、新天皇即位の際の継承儀礼である大嘗祭には、愛知県から絹布の「繪服(にぎたえ)」と、徳島県から大麻布の「麁服(あらたえ)」が、神座に 神御衣(かむみそ)として祀られます。
三木家直系は「麁服」を作製し宮中に直接届けられる唯一の「御殿人(みあらかんど)」、鎌倉時代より現在まで「麁 服」(あらたえ)を調進する儀礼の一役を担っています。
令和の大嘗祭にも、木屋平の三木家から「麁 服」が調進されることになりました。写真は播種式の様子です。
(H31.4)
大嘗祭とはー。
皇位継承に伴う儀式。新天皇の践祚(せんそ)の儀、即位儀礼が終わり、初めて新嘗祭のこと。新嘗祭は毎年11月23日に執り行われる収穫祭で、新穀を 天神地祇にお供えされ、みずからもお召し上がりになることで、皇祖及び 五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を感謝・祈念される一世に一度の重要な儀式です。
大嘗祭は、第40代天武天皇(御在位673年~686年)の時代から、一世一代の重儀として新嘗祭と 区別されました。
平安時代に、即位式が7月以前ならば年内に,8月以降ならば翌年に行うことが定めらました。
儀式にともなって、大嘗殿(おおにえどの)が新設されます。東西に悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿が新設され、新稲の田は亀卜により[6]卜定(ぼくじょう)されます。諸国から献上される御贄や雑器などとは別格に、阿波忌部のから調進される麁服(あらたえ)が「延喜式」で取り扱いが定められているとのことです。
7世紀頃に整備された大嘗祭ですが、平安時代に衰えはじめ、南北朝時代の兵乱による皇室の衰微とともに簡略化され、大嘗祭の前に新天皇が退位されたり挙行することができな かった年もありました。
大嘗祭の三木家からの調進も、南北朝の動乱1338年の光明天皇を最後に577年間断絶していましたが、大正天皇の大嘗祭で忌部神社・斎藤普春宮司と三木家当主が精魂を傾けて儀式を復興させました。
■三木家に残る古文書
1260年の亀山天皇の「大嘗祭」で
「麁服」の調進を担うよう記されている。