麁服(あらたえ)の儀の継承する阿波忌部氏「三木家」の里
徳島の剣山北麓にある旧木屋平村は,平安初期に 阿波忌部氏の一族の三木氏が開いたといわれ、平家の 落人や阿波山岳武士の伝説が各地に残る。
阿波忌部氏とは、中臣氏と並んで朝廷の祭祀を担当した忌部(いんべ)氏に従属して王権に奉仕した職能集団である地方忌部です。阿波忌部は、木綿・麻を貢納。本拠地である麻植郡に、祖神である天日鷲命を祭った忌部神社があります。
三木家は、大麻の織物=「麁 服・荒妙」(あらたえ)を皇室の大嘗(だいじょう) 祭に調進する儀礼を担っている。
木屋平村に伝わる伝承
平安初期 延暦13年(794) - 文治元年(1185)/建久3年(1192)頃
平安時代初期に三木山の忌部の長者・三木氏の次男が、5人の者を従えて当地に入り、下名・弓道・森遠・谷口・川上の4カ名に住を構える。三木氏の次男は谷口に居を構えて大浦氏を名乗って開発を行ったと言われている。
平家落人伝説
平家物語では、壇ノ浦の戦いで敗れた平家を奉じていた、当時、数えで8歳の安徳天皇が、二位尼と三種の神器とともに入水した様が描かれています。
また、一方では、入水には替え玉の人物をたて、壇ノ浦戦いの前夜に、安徳天皇は四国に脱出したという伝承もあります。(各地に安徳天皇の御陵といわれる所がいくつもあります。)
木屋平にも、平家水軍の指揮を取っていた平知盛の子・知忠が、平知経・平國盛(平教経の別名?)と共に、森遠と言う土地にたどり着き、その地に「小屋の内裏」と呼ばれた粗末な建物を、安徳天皇の行在所(あんざいしょ※天皇が外出したときの仮の御所)とした伝説があります。
その後、安徳天皇は平國盛等祖谷山平氏に迎えられて、祖谷へ行幸されたので、平知経は、この「小屋の内裏」を城塞のように築きなおし、名を「森遠城」と改め、自分の姓も平氏の平と小屋の内裏の小屋を合わせて、「小屋平(のちに木屋平)」とした。(木屋平村の名称の起源になった一説)
木屋平村と東祖谷山村の間にある剣山は安徳天皇の宝剣が埋められたという伝説にちなんで名づけられたといわれる。
木屋平の歴史(中世)
鎌倉時代 建久3年 (1192)
国衙(こくが)領の麻植郡山分の 種野山(旧木屋平村・美郷村一帯)に属す。
三木名・河井名・大浦名で 構成されており、在地領主が勢力をはっていた。
二戸地区は平安時代より種野山の中村山に属す、南浦と呼ばれ南二宇、二宇、今丸と木中は「寄来」(よせきたり)、野々脇には人家の記録なし。ほか樫原名も古くからあったとされる。
嘉暦2年(1327) 参考※三木家文書より
三木家文書に「コヤ平の太田河成」と記述があり、当時のコヤ平は大浦名の一集落を指し、現在の森遠の前称であった。太田河成とは、穴吹川沿いにあった広い水田が増水時に水害を受ける場所である。
正平2年(1347)貞和3年
阿波の山岳武士たちは北朝方の守護細川氏に従わず、
小屋平氏※6代目の森藤蔵人も、足利尊氏に従う。
小屋平氏、三木氏、遅れて大浦氏も阿波(徳島県)の南朝方が東の拠点の
一宮城にこもる。
正平17年(1362) 足利尊氏に従うが、一宮氏が北朝に降伏。
小屋平氏 ※「松家氏系譜」による
平知盛(たいらのとももり)の末裔と言われる伝説の小屋平氏は、それを証明するべく祖先の知盛の「知」の一字を継承して広く世に示し、武門の誇りとしていた。家祖知経より、2代目は、知直、知親、重知、知政、知氏、知治、知勝、知詮、知資、知満、知保、知隆、知継、知康 など、鎌倉時代初期から江戸時代の初期まで「知」のつく名が続いている。戦国の武将が源平の子孫であることを重要視したように、小屋平氏も権威の象徴として平家の子孫であることを利用したと考えられる。
2代目からは、小屋平(木屋平)を姓とする。5代目の小屋平清通・右近左衛門は、後に森藤清通・越前守と名乗る。
※森藤(森園)清通は、松家氏系譜によると5代目に当たる人物。「森藤(しんとお)」と言う姓は「森遠」に由来している。現在でも松家氏と密接な関係のある新藤(しんどう)氏の人物との説もある。6代目森藤蔵人も同様。
応安5年(1372)
小屋平知氏、北朝方(細川頼之)より、降伏の見返りに大浦内地頭国衙二ヶ名を預けおく書状を受ける。
南北朝末期には圧倒的な勢力の北朝方に、東方の城が次々と落城。
阿波の山岳武士で残るのは三木・小屋平氏を始め祖谷山の武士や山岳の小城だけとなり、孤立化する。
南北朝~室町期を通じて三木氏の所領は、三木山、中村山の一部、河井山の一部であった。
一方、小屋平氏は小屋平(旧大浦)・河井の大半であった。つまり三木氏・小屋平氏の支配地域は現在の木屋平村とほぼ一致する。
元中3年(1386)
三木氏も北朝から所領安堵をうけて降伏。引き続き、三木山、中村山の一部、河井山の一部を所領。
衰退した大浦氏に代わって木屋平氏が、「森遠城」を本拠地とし、勢力を伸ばし、大浦名を支配下に置くこととなる。
明徳3年(1392)
南北朝統一以降も細川氏に従った。
「大浦名」→「木屋平名」と改称。「コヤ平」の地を「「森遠」と呼んだと思われる。 (阿波文献より)
島城 藩主ある蜂須賀 氏の支配下で木屋平村・川井村・三ツ 木村の3か村が置かれた。木屋平氏は松家氏と名乗る。
慶安元年(1648) 12月20日
木屋平知継・知康藩主・蜂須賀忠英から松家の姓を賜って小高取に取り立てられ、五十石の知行地を与えた。以来木屋平姓を廃して松家となり、知経以来継承してきた「知」の字は彼を最後に廃している。これにならって一族6家も松家と称した。
万治2年(1659)12月12日
森遠城の跡地に森遠名の鎮守八幡神社を建立して、忌部族の祖神天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祀った。
木屋平の近代史
明治11年(1879) 南張は三ツ木村へ、麻衣と竹尾は川井村へ編入される。
明治22年(1889)10月1日 町村制施行に伴い、木屋平村、川井村、三ツ木村が統合、麻植郡木屋平村が成立。
明治22年(1889) 種野山の中村山の南浦(現二戸)は、別枝村と合併して中枝村となる。
大正3年(1914) 穴吹・木屋平間の群道(現国道)開通。
昭和30年(1955)1月1日 旧中枝村の一部(現二戸)が合併。
昭和48年(1973) 7月1日 麻植郡か ら美馬郡に編入、美馬郡木屋平村となる。
平成17年(2005) 3月1日 美馬町、穴吹町、脇町と合併して美馬市木屋平となる。
参考(徳島地方史研究会:美馬市旧木屋平村調査)
外部リンク・松家 剛さんがまとめられたページ
13 有形文化財(書跡)三木家文書 45通 木屋平字貢143番地 昭和59年8月3日
14 有形文化財(書跡)松家家文書 15通 木屋平字八幡101番地 昭和59年8月3日
15 天然記念物(植物)川井のエドヒガン1樹木屋平字川井302番地 昭和61年5月2日(美馬市HPリンク)
16 天然記念物(植物)川井のヒイラギ1樹木屋平字川井625番地 昭和61年5月2日 ※解除(美馬市HPリンク)
17 天然記念物(植物)八幡の大スギ1樹木屋平字八幡76番地 昭和61年5月2日 (美馬市HPリンク)
18 名勝天然記念物剣山並びに亜寒帯植物林1件
美馬市木屋平、那賀町、三好市東祖谷山村 つるぎ町一宇、 標高1700m 昭和29年1月29日
46 有形文化財(彫刻)釈迦如来座像1躯 木屋平字川井141番地 昭和52年2月28日
47 有形文化財(彫刻)阿弥陀如来立像1躯 木屋平字川井141番地 昭和52年2月28日
48 有形文化財(彫刻)聖観音立像1躯 木屋平字川井141番地 昭和52年2月28日
49 有形文化財(彫刻)不動明王立像1躯 木屋平字川井141番地 昭和52年2月28日
50 有形文化財(彫刻)毘沙門天立像1躯 木屋平字川井141番地 昭和52年2月28日
51 有形文化財(彫刻)阿弥陀如来座像1躯 木屋平字谷口263番地 昭和52年2月28日
52 有形文化財(彫刻)地蔵菩薩立像1躯 木屋平字谷口263番地 昭和52年2月28日
53 有形文化財(彫刻)聖観音立像1躯 木屋平字谷口263番地 昭和52年2月28日
54 有形文化財(彫刻)不動明王立像1躯 木屋平字谷口263番地 昭和52年2月28日
55 有形文化財(彫刻)毘沙門天立像1躯 木屋平字谷口263番地 昭和52年2月28日
56 有形文化財(彫刻)薬師如来立像1躯 木屋平字谷口263番地 昭和52年2月28日
57 有形文化財(書跡大般若経400巻 木屋平字川井141番地 昭和57年12月1日
58 有形文化財(工芸品)梵鐘1鐘 木屋平字樫原 昭和57年12月1日
59 天然記念物東の宮神社 桧3樹 木屋平字麻衣346番地 平成10年7月1日※解除(H24.03.01)
60 天然記念物キレンゲショウマ1件 木屋平字川上57番地1一帯 平成12年1月1日
剣山国定公園
turugi-san(正式名)
ken-zan(木屋平の昔の地方名)
信仰の山として古くから知られており、山頂近くの北斜面には「行場」と呼ばれる修行用の難所があります。この山には、本宮の剣神社をはじめ、ご神体の巨岩を祀る大剣神社や、源平合戦の悲劇で知られる安徳天皇の宝剣を祀るとされる宝蔵石神社などいくつもの神社があります。山の名前の由来は、安徳天皇の宝剣からついたとも、石灰岩が侵食された山容が剣状だからとも、また山頂付近の鶴岩・亀岩=鶴亀(つるき)と関係するなど、諸説あります。
リフトの西島駅から行場に向かう途中の歩道沿いにある「刀掛けの松」の言い伝えー
安徳天皇が、宝剣を納めに剣山頂に向かう途中、宝剣を持ち汗も拭かずにかしこまっている従者に自らお声をかけられ、この松に剣をかけて従者を休ませたと言われています。
(林野庁HPより)